心が疲れてしまったら


例えば、貴方が怪我をしたとします。
しかし、それはどんな場合であっても「同じ怪我」でしょうか?

ごく一般的な思慮分別で考えるなら、
後ろから車に追突された場合→相手の責任
階段を駆け降りて転んだ場合→自分の責任
という結論に至る筈です。

このように、「怪我」という出来事一つ取り挙げてみても、自責の場合と他責の場合があるように、私達が日々遭遇する不都合の中には、相手に責任を求めてよい部分、自助努力で乗り越えるべき部分、専門家の判断を仰ぐべき微妙な部分・・・と、一つ一つ局面が違います。

例えば私の場合でしたら、近所の敬老会のような催しや、学校のPTA主催の会議に参加する事を要請されたら、我が家がそれに参加する義務があるかどうかを検討した上で、「参加する必要ナシ」と判断した場合は、「申し訳ありませんが、参加できません」とハッキリお断りします。
寄付金の類を要求される場合は、なおさら慎重に判断します。

逆に、子供が友達から借りたゲームソフトを紛失したら、当然、保護責任者である私に弁償する義務があります。

日常的な「心の疲れ」を感じている人達に共通しているのは、
「なぜ、私がこんな事をしなければならないのだろうか?」
「なぜ、あの人は私にばかり冷たく接するのだろうか?」
といった具合に、視点が「私」という一点で固着化してしまっている事です。
まずは、「私」を一度、脇に置いてみるのがポイントです。
「社会通念上、許容される範囲なのか?」
「法律的にはどうなのか?」
「経済的な有利、不利はあるのか?」

一般的に言って、人が「心」と呼ぶモノはつまるところ、「私の感情」を指しています。
つまり、「心が疲れる」という状態は、「感情という物差し」では測り切る事ができない事態に遭遇した時に起こる現象です。

ならば、感情以外の物差しを使って測り直すしかありません。
そう、「論理という物差し」ですね。


特に、「他人と意見を出し合ってまとめる事が苦手」という人が、この厳しい時代(実際には厳しくなかった時代などありませんが)を生き抜いていく為には、論理思考を鍛える事が不可欠だと思われます。

例えば、これから貴方が就職、あるいは転職する際、十人の応募に対して採用枠が一人だったとします。
その際、合否を決める要素は何でしょうか?
貴方とライバル達を分つものは何でしょうか?
そう、「心」などといった漠然としてものではなく、純粋に「能力」が問われるわけです。

ならば、
「今の自分に欠けている実務能力は何なのか?」
「これからの時代に必要とされる資格は何なのか?」
といった部分は突き詰めて論理的に考えなくてはいけませんし、その選択責任は貴方自身にあります。

あるいは主婦の場合でしたら、
「妻としての労力に○○%、母としての労力に××%、女としての労力に△△%・・・」
といった具合に、一日の生活に必要なパワーの「割り振り」も考える必要があるでしょう。
つまり、「私」という主体ではなく、「社会という盤上に於ける、私という駒の置き方」を考えていかなければならないわけです。

もちろん、論理思考を鍛えるとは言っても、「裁判を傍聴して刑法を勉強しろ」とか、「コンピュータープログラムを勉強して会計ソフトを作れ」などという突飛な事ではありません。
そのレベルになると、それらを直接の目標にしている人でなければ単なる「苦痛」で終わってしまい、余計に疲れてしまいます。

「小一時間で出来る事」を日々ネチネチと続けるのがマモリ流ですσ(`∀´メ)

まずは普段の生活と並行して、パズルや対戦ゲームに挑戦してみて下さい。
身近なところであれば・・・
・ルービックキューブ
・テトリス
・チェスや将棋や麻雀
・株式売買シミュレーション
(くれぐれも、実物には手を出さない)
・中学生程度の数学や物理の問題集
(雑学クイズの類は出題者の恣意が混ざってしまうのでダメ)

少しレベルを上げるなら・・・
・身の回りの簡単な機械の修理
・自然の河川での魚釣り
(人工的な釣り堀はダメ)
・卓球のようなコンパクトなスポーツ
・外国人の友達を作って共同作業をする。

大事なポイントは「理解できる範囲で数理的である事」、あるいは「相手の出方を予想し、そのデータを積み上げる」という部分です。

話を心理の方に戻すと、「心が疲れる」というのは、「私」という主体の「趣味嗜好」あるいは「喜怒哀楽」といった物差しでは、目の前の出来事が測り切れない状態、つまり判断の「拠り所」が無い状態です。

それは、当り前の話なのです。
この広大な宇宙の中で、「私」という存在がナンボのモンでしょうか??
そのちっぽけな「私」の中だけに存在する「心」という物差しだけで、目の前の出来事を全て測れるワケがないのです。
自分の内側に在る「拠り所」で足りなければ、外側にも「拠り所」を持つしかありません。

その「外側の拠り所」となるものが・・・
数理、物理、統計、確率といった物差しなワケですね。
上記に挙げた身近な例は、全て数理、物理、統計、確率のいずれかの要素が入っています。

究極的に言ってしまうと、「論理思考」とは「使える物差しの数」なのです。

4 comments

関係のないコメントをして申し訳ありません。
唐突に失礼で申し訳ありませんが、まもりさんと直接お話したいことがありまして。
もし、よろしければ私のメールにとりあえず連絡いただけないでしょうか?

>1 マコトさん
あ、愛の告白ですか!?
わ、分りました・・・
��ドキドキ)

すごく、思い当たる部分が・・・。
心が疲れてしまって、聞かれたことや、答えを求められたことに、自分らしくない事を言ってしまったり・・・って、あります。
うちに子供の友達が遊びに来て、ゲームソフトをなくしたことがあるんです。
うちの子も借りていたんだけれど・・・巾着袋に何十個も持ってきていたから「そんなの持たせる親の責任じゃないの?」と思っていたんですけど・・・真守さん的には、借りた側の親の責任でもあるんですね(汗
論理的思考を鍛える。。。
ルービックキューブでも、やってみようかな?w

>3 yururuさん
論理思考について書き始めると、どうしても長くなってしまうので、なかなか一つの記事にまとめ切れないので大変なのですが・・・
大事なのは、一時の喜怒哀楽の感情で判断するのではなく、「個と全体の関係を意識して把握する」という事なんです。
釣りの例で言うなら、当然、何も無い場所に餌だけ放り込んでも魚は釣れません。
一時だけ「自分」をオフにして「魚の立場」になって考える事により、「魚はどんな場所に巣や群れを作りたがるのか?」「どんな餌を好むのか?」「どんな色や形、音を警戒するのか?」という推論に至るワケです。
で、それを最終的に数字化して解り易くしたのが統計とか確立という事ですね。
結果、
「○○川では一日平均5匹程度しか釣れないが、××川では10匹以上釣れる」
「△△という魚は日中よりも夕方の方が捕食活動が盛んだから、夕方の方が釣り易い」
という結論になるワケです。
「他人を蹴落とさなくても、冷静に考えればちゃんと利益が得られるんだ」という事を理解する為に、論理思考が必要だという事ですね。
特に昨今の社会では。


EmoticonEmoticon