【書評】洗脳論語


以下、Amazonに投稿したレビューです。

5つ星のうち 4.0 人生の先輩ビーム!!2011/12/12
投稿者 安井 真守 (群馬県高崎市) - レビューをすべて見る

ハッキリ言って、私は論語というものを唯の一度も読んだ事は無い。
いや、正確には「読んだ事が無いと錯覚させられていた」と言うべきだろうか。

それは一体、どういう事か??

つまり、私自身は「論語そのもの」を読んだ事は無くとも、それを読んだ事がある両親、祖父母、そして近所の「おじちゃん」「おばちゃん」達から「人生の先輩ビーム!!」を日々累々と浴びせられ続けた結果、その目論見である「年長者の絶対性の確認」だけは、「なんか嫌だなぁ・・・」とは思いながらも今日まで受け入れて生きてきた、という事である。

著者は、論語の最大の問題点は「仁」という概念であると力説する。

「ところが、なぜ仁が正しいのか、なぜ仁を欲しなければいけないのか、その答えは論語には書かれていません」(157ページ)

なるほど確かに、回答が付属していない数学の問題集が売っていたら、それは詐欺か、もしくは呆れ果てる程の落丁本と言えるかもしれない。
しかし、その「呆れ果てる程の落丁本」を今日まで堂々と売っているのが孔子であり、歴代の中国皇帝であり、そして儒教であるというのが、著者の主張のようだ。
もしも、「なぜ仁が正しいのか」という部分に於いて、もっと論理的に述べられているのであれば、著者もここまで論語を批判する事は無かったのではないだろうか。

しかし、本書を読み終えて、私は論語の最大の問題点は、「仁」という概念とは少し違った部分に在るのではないかと思っている。
即ち、「子曰く」という文言が何度も文頭で繰り返される様式の部分である。

言わずもがな、これが旧約聖書であれば「エホバ言い給ふ」の部分であるし、新約聖書であれば「主イエスは述べられた」の部分である。
極めて単純(初歩的)な洗脳手法として、これだけ「○○さんが言いました」と何度も繰り返されると、もはやのその人物の実際の経歴などはどうでもよくなり、「曰く」の後に続く文言が無批判に読者の脳に刷り込まれてしまうのではないだろうか。

ともあれ、本書を読んで、私は相手の年齢や社会的地位ではなく、その主張の根拠と論理性のみを判断基準にして話を聞くべきであるとの認識を再確認した次第である。
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