トータルバランスという見方・考え方

昭和の昔ならともかく、21世紀の現在に於いては、その言葉の意味を知らない人など居ない筈である。

「トータルバランスが良い・取れている」

この言葉が使われる範囲は実に多岐に渡るが、例えば人間の一生に当て嵌めるならば、「特に大きな持病や障害が無く肉体的に健康で、ある程度の社会的地位と相応の収入があり、且つ私的な趣味も充実しており、善良で平穏な精神を維持している状態」と定義できるだろうか。

さて、上に述べた状態に異論を唱える人は(殆ど)居ない筈であるが、今の世の中を見渡してみると、「一体、人の心はどうしてしまったんだろう??どこに行こうとしているんだろう??」と、首を傾げざるを得ない状態にある。

職場や隣近所といった物理生活上の隣人でもそうだし、Twitterに代表されるような情報空間上の知人の発言でも同じ事なのだが、あまりにも「○○であるべきだ」「○○でなければ始まらない」といった断定的な言い方をする人が多く、正直、「本当にそれでいいんですか??本当にそれで満足なんですか??」と問い直したくなる場面が増えているのだ。

例えば、こんな主張をする人が居たとする。

「今の日本には外国人労働者が多過ぎる」
「連中が仕事を奪うから、日本の若者が就職できなくて職安が人で溢れているんだ」

言わんとする事は分からなくもない。
が、仮に日本から外国人を一人残らず追い出せば、その人は「本当に」満足するのだろうか??

残念ながら、その可能性は低い。

何故ならば、物事が上手くいかない原因を自分、あるいは自分が所属するクラスター「以外」の対象に求める人は、 決まって「あれも気に入らない、これも我慢できない」と、次から次へと標的を移し替えるからだ。

ここまで言えば、もうお解りだと思うが、そういう人達は押し並べて「トータルバランスの取れた見方・考え方」ができずに、目先の短期的な損得勘定や悪感情の吐露だけに終始してしまうのだ。

上の例で挙げたような事を言う人が居たら、是非とも、こう問い直してみて欲しい。
「なるほど、では日本から外国人労働者が居なくなりさえすれば、たとえ貴方が明日、不治の病を患って死んでも悔いは無いワケですね??」

そうやって全くの別分野、別角度から質問されたら、きっと、その人は目が点になって呆気に取られてしまうか、精々、「ソレとコレとは全くの別問題だ!!」と怒鳴るのが関の山だろう。

類例はいくらでも挙げられる。

「男は外見じゃない、中身だ!!」
「なるほど、では女性は外見オンリーでも良いワケですね??」

「やっぱり、世の中金だよねぇ・・・」
「現金の預貯金なんて、ハイパーインフレになれば全く価値無くなりますけど??」

そう、「別問題だ」と言うのであれば、ちゃんと分かっている筈ではないか。

即ち、「○○が××になれば良くなる」などと断定できる事は、世の中にそんなに多くはなくて、実際には「最低限度の○○と相応の××、その上で△△も出来る限り向上させたい」と、少しずつ、しかし様々な要素を向上、改善していかなければ、個人の人生の幸福も、ましてや人類社会全体の平和や繁栄も有り得ないという事を。

少しずつ、いろんな事を良くしていこう。
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