洗脳論語の脅威、今まさに

今朝、私の息子が部屋の中に落としていった学校関係のプリントの中に、こんなモノが混ざっていた。


これを見て、私が感じた恐怖に同意してくれる人が、一体、何人いるだろうか。
詳しくは、苫米地 英人氏の著書「洗脳論語」を読んで頂けば話は早いのだが、簡単に言うと、日本の学校教育で行われている「道徳の授業」とは、孔子(とその弟子)が書いた「論語」を聖書として据えた思想教育なのだ。

が、私がこう言っても、ピンとくる人はほとんど居ないだろう。
では、置き換えて説明すると・・・

私立ではない純然たる公立学校、しかも義務教育である小中学校に於いて、仮に「聖書の時間」というものがあったら、あなたはどう思うだろうか??
新約聖書に書かれているイエス・キリストの言動を題材として取り上げて、「この話の中で、あなたはキリストの言葉のどんな部分に共感しましたか?」などとやっていたら・・・
とんでもない!政教分離の原則に反するじゃないか!」と、当然思うだろう。
まさに、それと(ほぼ)同じ事をやっているのが日本の道徳教育なのだ。

無論、ここで問題としているのは、中国の歴史としての世論・思想の変遷や、人物伝ではない。
例えば社会科の歴史の授業に於いては、孔子や論語はもちろんの事、インドのカースト制度やナチスの一党独裁について教えているが、それらはあくまでも「歴史」、つまり「昔、他の国でこんな大きな出来事があり、それによって人々の生活が大きく変わりました」という「過去形」として教えているのであって、当然の事だが、それらを今現在の日本に当て嵌める意図を以って教えているのではない。

ところが、道徳の授業に関しては特別枠、つまり「現在進行形」として、子供たちにそれを遵守させるべく教えているのだ。

以下、文部科学省のHPより抜粋。
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/1318964.htm
「中学校等の新学習指導要領の全面実施に当たって」

文部科学省初等中等教育局長
布村 幸彦

<中略>

4.道徳教育について,道徳の時間を要として,各教科等の特質に応じ,あらゆる教育活動を通じた適切な指導を行うこと

 新学習指導要領において,道徳の時間を要として学校の教育活動全体を通じて道徳教育を行うこと及び各教科等において道徳の時間との関連を考慮することを明確化するとともに,発達の段階に応じた指導内容の重点を明確化した。併せて,生徒が感動を覚えるような魅力的な教材の開発や活用,道徳教育推進教師を中心とした指導体制の充実などを掲げ,道徳教育の充実・改善を図っている。

 これらのことを踏まえ,各学校においては,教師と生徒及び生徒相互の人間関係を深めるとともに,生徒が道徳的価値に基づいた人間としての生き方についての自覚を深め,道徳の時間の授業公開を行うなど家庭・地域社会との共通理解・相互連携を図りながら,豊かな体験を通して生徒の内面に根ざした道徳性の育成が図られるよう,道徳の時間を要として,各教科等の特質に応じ,あらゆる教育活動を通じた適切な指導に努められたい。

上記の「道徳の時間を要として」という文言に注目して欲しい。
これはどういう事かと言うと、いわゆる算数、国語、理科、社会 といった「一般教養」によって子供たちの知能や人格形成の向上を目指すのではなく、孔子の論語によって体系化された儒教思想を、日本の公立学校に於ける教育の要として置く、という事だ。これでは、一般教養は単なる「オマケ」という事になってしまう。

もう一度、「道徳」という単語を「○○教」という言葉に置き換えて、上記の通知文を読んでみて欲しい。背筋が寒くなってこないだろうか?
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