自我の定義


人は成長すると、遅かれ早かれ「自分とは何なのだろう??」と「自我」(ego)なるものの存在や定義について考えます。
もちろん、物理的、肉体的な意味でのそれと、社会的、あるいは精神的な意味でのそれとでは、答えが微妙に(あるいは全く)違ってくるわけですが、このブログでは当然、認知科学の観点からの定義を考察したいと思います。

「我思う、故に我あり」というデカルトの言葉はあまりにも有名ですが、当然の事ながら、当時は物理的な脳機能と、その脳機能の結果として「心」が導き出した哲学的な考察とを、科学的な手法で「辻褄合わせ」する事ができませんでした。
ひょっとしたら、デカルトさん本人も「そうでも思わなきゃ説明できないだろ!」と開き直っていたかもしれません。

しかし、fMRIや超伝導量子干渉計といった「辻褄合わせを可能にする機械」の登場によって発達した、現在の認知科学で定義される自我とは、
一言で表せば「その時点での情報状態の総和」になります。

「情報状態」とは、本などで得た知識(knowledge)と、自分自身の実体験に基く経験則(heuristics)の両方が含まれます。
「その時点での」と断りを入れるのは、単純に「昨日の自分」と「今日の自分」と「明日の自分」は、それぞれ違うからです。
「そんな大袈裟な・・・」と思うのであれば、十年単位で考えてみましょうか。

仮にあなたが現在30歳だったとして、十年前ならば当然、20歳だったわけですが、20歳時点のあなたと現在のあなたの「状態」は全く同じでしょうか??
まず、知識量が違います。その十年間の間に読んだ本や調べた資料の知識が上乗せされる上に、当時は大学生で現在は会社員であれば、社会的実体験に基づいた方法論(know-how)も加わります。


第二に、他者からの認識状態も違います。
認知それ自体、つまりあなたの事を「山田太郎という男性」、あるいは「鈴木花子という女性」だと知っている事には違いはありません。

しかし、その内容については、例えば
「つい十年前までは幼さが残る大学生だったのに、今では売り出し中のファッションコーディネイターとして忙しく活躍している」
「更に十年後には、業界の重鎮として世間に広く認められるのではないか」
と、過去、現在、未来に対する評価がそれぞれ違うわけです。
このように、「他人から見えている自分」も常に移り変わっているのです。

それはつまり、「実は自我というものは自分の中にだけ存在しているわけではない」という事を意味しています。
もしも、自我なるものが100%自分の中にだけ存在しているのであれば、他人から褒められて嬉しさを感じ、「これからも、もっと頑張ろう!」という気分になる事はあり得ないからです。

ちなみに、「三つ子の魂百まで」という諺がありますが、これは単にクリティカルエイジ(特定の脳機能の年齢的な発達限界)の事を指しているだけであって、「生まれ持った性格や価値観は一生変わらない」という事ではありません。

「自分」なんていくらでも変わり得るし、変えていけるんです。
良い方向へ変えていきましょう。

英語版
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1 件のコメント :

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    その感情、説明できますか?
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    ここ本に「自分とは何か」をかきしるしました。

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