「超大乗主義」とは?

Twitter等で私が時々言及している「超大乗主義」という言葉についてですが、正直、「なんじゃそりゃ??」と思っている方も多いと思いますので、少し説明させて頂きます。

皆さんも中学校の歴史の時間に習ったと思いますが、釈迦が興した仏教は、その弟子たちによって永い年月を掛けて人々の間に広められていきました。
特に釈迦自身と、その直接の弟子が存命していた当時の教えは「原始仏教」と呼ばれます。

ところが、後年になって一部の意識高い系(?)の僧侶達が、一般大衆に釈迦の教えを説くよりも、自分達だけで悟りを得る事を目的として山奥に籠ってしまいました。

それを日本語では「上座部仏教」と呼ぶわけですが、その姿勢が「矮小である」と人々から非難を浴びた結果、釈迦の教えを一般大衆にも理解しやすいように噛み砕き(時には演出し)、広く世の中に説いてゆく方法論を「大乗仏教」と呼ぶようになり、それとは相対的な上座部仏教は「小乗仏教」と呼ばれるようになりました。

で、私が謳う「超大乗主義」とは、もちろん大乗仏教を根底に据えているわけですが、わざわざ「超」を付ける以上は、文字通りそれを「超えている」必要があります。
なお、先にお断りしておきますが、私自身が特定の仏門宗派に籍を置いているわけではありません。あくまでも「日常の心構え」の話ですので、お間違えの無いようにww

釈迦

さて、「釈迦を超える」と言うと、実にモノ凄い事のように思うかもしれませんが、実際、釈迦自身はインド国内しか行脚していませんし、自分の教えを他の国の言語に翻訳したりもしていないわけです。
ところが、今の世の中で釈迦の教えを他の国の人々に解説しようと思ったら、例えば英語などに翻訳する作業が必要になってきますよね??

その時点で釈迦がやった事以上の「仕事」をしているワケですし、その他にも、当時のインドには存在しなかった様々な社会層(職業、政治的信条、趣味嗜好)の人達にも理解してもらえるように語彙を調整しなければなりません。

確かに釈迦は悟りを開き、当時のインドの大衆を精神的に救済しようとした張本人かもしれませんが、その教えを21世紀の世に広めようとする者は、釈迦よりもっと忙しいわけです。
なので、「釈迦を超える」と言うよりは、むしろ「必然的に超えざるを得ない」といったところですね。

ヤクザに釈迦の教えを理解してもらう為には??
他の宗教の信者やオカルティストの場合は??
自然科学者や唯物論者の場合は??
政治的右派、左派の場合は??

と、まぁ、挙げればキリがありませんが…

極論すると「自分が死ぬまでの間に地球上の全ての人間に会い、健全な自尊心の確立へと導く」のが目的であるという事ですね。

「そんな事、不可能に決まってるだろ!!」

はい、不可能である事が判っていて、それでも挑むのが「姿勢」というものですよ。

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